東京の桜は満開、
お天気よすぎてついつい外に出た、、、
暖かいのにマスクに帽子に超怪しい花粉症対策グッズで、
入学式の親子ずれも大勢見かけて、、
初々しいこの時期特有の風景、
旧芝離宮恩賜庭園は浜松町駅のすぐそば、
駅の発着メロディーも聞こえ、新幹線、モノレール、電車の通過音を聞きながら、、、
ビルの谷間のオアシス庭園、人もまばらでのんびり散策できる、桜も満開
こぢんまりとしたいい庭園だと思っていたが、清澄庭園よりも面積は広いのだ、、、
なかなかいいところでした~
毎年、お花見に行く女子会は、今年はお誘いがこなかった、、、
今年の新年会(元会社)の折に、受験生を抱えた元上司が、話しの勢いで、娘が合格の折には祝賀会をしようと、、なんとみごとに「東京大学合格」ということで、5月にまたみんなで集まるのだ。元会社の元職場のメンバー、なんだかんだと楽しい集いである~
4日に、引っ越し手伝いで東武東上線の東松山に向かう車窓からもみごとな桜並木をみていて、
もう今年の花見はこれで十分とも思ったが、あまりに天気がよくって、ついついでかけた、
家にこもっていても、クシャミは出るし体調不良に変わりはないので、
しかし、あまり遠出はしたくなかった、、ばっちり駅すぐそばの旧芝離宮恩賜庭園に、有楽町-浜松町(JR4分)
JESCOのPCB検討委員会の会場「アジュール竹芝」、いつもはゆりかもめを利用するのだが、先日は、傍聴のはしごのため、浜松町駅からはじめて「アジュール竹芝」に向かって、駅をでてすぐに旧芝離宮恩賜庭園入口があるのをチェック済み。軟弱・横着ものの身にとっては助かる近さ、その上、都立庭園で、入園料が、65歳以上 70円なのだ。とは言っても一般でも150円という安さではあるのだが。しかしそんなことで喜んでいる場合ではない、退職してあっという間に6年が経過してしまった。年は年々みんな同じだけとっていくのだが、映画のシニア料金同様に、美術館などもシニア料金を導入してほしいものだ~
都立庭園もいろいろ~
東京都公園協会 庭園へ行こう。都立庭園情報
庭園へ行こう。ホーム > 旧芝離宮恩賜庭園 > 概要
小石川後楽園と共に、今東京に残る江戸初期の大名庭園の一つです。回遊式泉水庭園の特徴をよくあらわした庭園で、池を中心とした庭園の区画や石の配置は、非常に優れています。
明暦(1655~1658年)の頃に海面を埋め立てた土地を、延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝が4代将軍家綱から拝領しました。
忠朝は屋敷を建てるにあたり、藩地の小田原から庭師を呼び庭園を造ったと言われています。庭園は「楽壽園」と呼ばれていました。
庭園は、幾人かの所有者を経たのち、幕末頃は紀州徳川家の芝御屋敷となりました。明治4年には有栖川宮家の所有となり、同8年に宮内省が買上げ、翌9年に芝離宮となりました。離宮は、大正12年の関東大震災の際に建物や樹木に大変な被害を受けました。
翌年の大正13年1月には、皇太子(昭和天皇)のご成婚記念として東京市に下賜され、園地の復旧と整備を施し、同年4月に一般公開しました。また、昭和54年6月には、文化財保護法による国の「名勝」に指定されました。
<夕日に輝く泉水>
泉水は、この庭園の要を成す施設です。池は海水を引き入れた「潮入りの池」でした。引き潮の時は中島から浮島に渡れたり、潮の干満により州浜や島々の風景が劇的に変化したといわれています。今は残念ながら海水の取り入れができなくなり、淡水の池になっています。
旧芝離宮恩賜庭園には、数々の名石が用いられた庭造りが行われています。根府川山や中島の石組は一見の価値があります。特に大久保家の藩地であった小田原 から、多くの根府川石が運ばれ、いくつかの石組と泉水周りの飛石に使われています。泉水の護岸は富士の黒朴石が用いられています。
西湖の堤<西湖は江戸の人達の垂涎の場所でした>
西湖は、中国の杭州(現在の浙江省)にある湖、西湖堤は風光明媚な西湖の蘇堤を模した石造りの堤です。古来、詩歌や絵画の題材として珍重されました。
中国で仙人が住むと言われる「蓬莱山」を表した中島の石組です。
鯛橋・根府川山・飛石(根府川石)<小田原から運んだと思われる石郡>
鯛形の根府川石の橋を渡ると右手に豪壮で圧倒されるような築山があります。その山麓に根府川石の飛石が端正な形に敷かれています。
山渓を流れ落ちる滝を彷彿とさせる石