江東区と大田区の間での帰属問題に解決の兆しが見えてきた中央防波堤=本社ヘリ「おおづる」から
東京新聞 「 江東区か大田区か…埋め立て地の帰属争い 五輪前に決着なるか」から転載
■ 江東区か大田区か…埋め立て地の帰属争い 五輪前に決着なるか
東京新聞 2016年3月22日
東京都大田、江東両区が「うちの土地」と主張し合い、手詰まり状態となっていた東京湾の「中央防波堤埋立地 (中防)」の帰属問題に、解決の兆しが見えてきた。今月、両区長が会談し、二〇二〇年東京五輪・パラリンピックまでの決着を目指す方向で、協議を再開する ことで一致した。ただ両区とも100%の帰属を主張する点は譲らない構えで、都の調停や裁判での決着も予想される。 (荘加卓嗣、木原育子)
手詰まりを打開する口火を切ったのは、大田区の松原忠義区長だった。今月八日、自ら江東区役所に出向いて山崎孝明区長と会談し、協議再開の合意を取り付けた。
松原氏は翌九日の区議会予算特別委でこの事実を明かし、「精力的に協議を進め、早期解決に向け適切に対応してまいりたい」と述べた。強気の根拠 は、茨城県真壁町(現桜川市)と筑波町(現つくば市)が筑波山頂境界をめぐって争った訴訟で、一九八六年に最高裁が示した「係争地域の歴史的沿革が重要」 との判断だ。
大田区の担当者は「中防となった海面のほとんどは、江戸時代中期以降、六三年に漁業権を放棄するまで、現在の大田区民がノリの養殖を行ってきた場 所。生業を放棄し苦労した区民は多い」と話す。「都からも免許を得ていた」という歴史的な事実から、都による調停や、裁判に進んでも優勢だと踏む。
一方の山崎氏は八日の会談後、本紙の取材に「(松原氏に)『あなたと同じ気持ち。腹を割って話せたら』と語った」とし、余裕とも取れる笑みを見せた。
江東区の支えは、また別の歴史だ。二十三区のごみや焼却灰の多くは同区内を通って中防へと運ばれてきた。異臭やハエの大量発生、一日五千台のごみ収集車通過に伴う渋滞。長年我慢を強いられた故の「見返り」に、絶対的な自信を持つ。見返り論は区民にも根強い。
同じく東京湾の埋め立て地「お台場(旧十三号地)」の帰属をめぐっては、江東、港、品川三区が争い、八二年に都の調停で江東区が七割を取った。余裕の裏には、長年の帰属争いを制した「先輩」としての経験もあるようだ。
中防には油田があるわけでも、豊かな漁場があるわけでもない。固定資産税は都が徴収するため、税収上のうま味もない。東京電力福島第一原発事故による都内の放射性廃棄物も、処分先が決まらないまま中防に保管されている。
それでも「苦難の歴史」とそれに根差した住民感情がある以上、両区の「譲れぬ戦い」は簡単には終わりそうにない。
<中央防波堤の帰属問題> 中央防波堤は1973年、ごみなどによる埋め立てが始まった。当初は中央、港、品川を含む5区が帰属を主張したが、都が 「地続きであることが必要」と示して3区は主張を取り下げた。その後、大田、江東両区の協議が断続的に続き、大田区は「江戸時代中期から、区内在住ノリ養 殖者の漁場だった」と歴史的経緯を主張。江東区は「ごみの搬入経路となって我慢してきた」と正当性を訴えた。2020年東京大会でボート・カヌー、馬術会 場が中防に設けられることが決まり、国際的な注目を浴びることからも決着を目指す機運が高まっていた。
いつのまにか「両区とも100%の帰属を主張」となってしまって、
調停となると、譲れぬ姿勢を明確にしたいのだろうか?
なんだかね~