☆現役東大生か、若者達が続々と赤門から構内に、(2015年1月6日AM10:00)
2015年、G/up 今年の初めの集い、集合場所は東京大学赤門前
東京大学本郷キャンパス、、歴史的建造物も多く、敷地も広大、樹木も大きく、キャンパス内をゆるりと散策
赤門:文政10年(西暦1827年)加賀藩主前田斉泰にとついだ11代将軍徳川家斉の息女溶姫のために建てられた朱塗りの御守殿門であり、重要文化財に指定されています。
どの建物も、それぞれ、趣のある立派な建築らしい
建築関係に興味のある人には東大キャンパスはおもしろいだろう、、
キャンパス内、あちこちにいろんな方の胸像が、、、
そして本郷キャンパスのマンホールふたも実に様々、
東京大学の変遷、帝国大学、東京帝国大学、東京大学と~
たくさんありすぎて、マンホールふたも胸像も、とても全部は無理、写真はたくさん撮ったけど、、、
参考に
東大ガイド:本郷キャンパスのマンホール
東大130の秘密「銅像」のコーナー(№001~014)
東京大学医学部附属病院、いろんな「レリーフも
この病院にはずいぶんお世話になった、子どもが1歳、3歳で、二度も入院した。
当時は、小児外科は東大病院か順天堂ということで、親が付き添い可能な東大病院に即決断、
その後も、何かあると通ったものだが、、、、
煙突らしきものがあると、ついつい撮してしまう、、、 これはなんだろう?
三四郎池(正式名称は育徳園心字池)
今日の天気予報は、曇りのち雨だったので折りたたみの傘も持参したが、
なんと、みんなの心がけがいいのか、お日様ものぞいてきて、、、さすがG/upだ、、、
存在感のある大きな木、白い巨木、
本郷キャンパス樹木の知られざる???
ゴシック様式の建物が各所に、、、
wikipedia 東大紛争 > 東大安田講堂事件
東大安田講堂事件(とうだいやすだこうどうじけん)とは、学生の自発的組織である全学共闘会議(全共闘)および新左翼の学生が、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していた事件と、大学から依頼を受けた警視庁が1969年1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件である。東大安田講堂攻防戦ともいう。
時 1969年1月18日 - 1月19日 場所 東京大学本郷キャンパス安田講堂 結果 警視庁による全学共闘会議の鎮圧 衝突した勢力 警視庁機動隊 全学共闘会議 指揮官 佐々淳行 今井澄、米田隆介 戦力 8個機動隊8500人 2000人前後? 被害者数 負傷者710人(うち重傷31人) 負傷者47人(うち重傷1人)、逮捕者457人 今では、東京大学というと全く違ったイメージだが、、、
かつてのあの人達は??? 今どうしているのでしょうね、、
ついつい気になって、、
地下に、銀杏メトロ食堂あり。建物自体が、メトロというより、レトロなので、、
実にいい場所である、、食堂の他に、生協の売店もあり、、
いつの間にか、1本103円の「東京大学」名入りのボールペンとシャーペンを買った強者2名、
帰りは、みんな少しは賢くなったか、、、キャンパス散歩だけでは無理か、、、
参考
本郷地区の主な建物や見どころ、レストランなどをご紹介しています。
東京大学 伊藤国際学術研究センター内レストラン トップ >ランチコース(カメリア)
ランチコース(カメリア)
東京大学本郷キャンパスに2012年3月、新たなレストランがオープンしました。
大正5年から赤門の隣に佇む煉瓦倉庫は、構内の貴重図書を保管してきた学内最古級の建築です。
長い時を経てレストランとして生まれ変わった知的な空間の中、村田眞吾〔アカデミー・キュリネール・ド・フランス日本支部メンバー〕監修のフランス料理をゆったりとお楽しみください。
散策の後は、カメリアでランチ(ホテル椿山荘のグループレストランとか、、、)
由緒正しき(?)レストランで、食事の後は、恒例となった年の初めの「富くじ」を、
今年は、七福神の富くじ、、久しぶりの散策と楽しいおしゃべりで、今年もスタート、、、
持込お菓子はダメですと注意を受けない程度に密やかに、
「じゃばら飴」なるものもいただいた、、
なんでも 紀州食彩工房↓↓
日本で唯一の飛び地の村・和歌山県北山村というのもおもしろい
北山村は和歌山県、・・・なはずなのに
村に隣接する町や村はすべて三重県、奈良県
参考
和歌山県・北山村行政サイト
北山村観光サイト - 和歌山県・北山村観光サイト
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wikipedia東京大学 > 東京大学の建造物 概説
日本で初めて設立された近代的な大学である東京大学には、明治以降の日本における教育史を象徴する数多くの建造物が関東大震災や東京大空襲などによる被害から免れ、残存している。そのため、重要文化財や登録有形文化財となっている建築物も多い。さらに指定までは受けていないものの建築関係者に評価の高い建物などもある。本記事では、重要文化財や登録有形文化財となっている建築物を中心に東京大学のキャンパス内に現存している、もしくはしていた建造物に関して歴史的意義などをふまえながら解説をしている。
本郷地区キャンパスの建造物 本郷キャンパス本郷キャンパスには歴史のある建物が多く、東京都の登録有形文化財第1号である安田講堂をはじめ、正門(横にある門衛所も含む)、法文1号館、法文2号館、法学部3号館、工学部列品館、工学部1号館が登録有形文化財に登録されている。これらの建物のうち、正門以外は内田祥三の設計による建築である。これらは共通する特徴をもったゴシック様式の建物であるため、設計者の名前を取って内田ゴシックと呼ばれている。内田ゴシックは他にも医学部2号館(本館)など同キャンパス内に数多く存在する。
安田講堂(後ろの建物は理学部1号館)
門 正門 キャンパス西部にあり、本郷通りに面している。横にある門衛所も合わせて登録有形文化財に登録されている。1912年完成。設計は伊東忠太。 正門 赤門(あかもん) キャンパス南西部にあり、本郷通りに面している。同キャンパスの正門とよく間違われるが、正門ではない。旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門であり、1827年に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られた。建築様式としては薬医門であり、切妻造となっている。左右に唐破風造の番所を置いている。国の重要文化財、旧国宝。転じて東京大学の俗称となっている(東京大学#赤門を参照)。 赤門 鉄門 龍岡門と本部棟(中央) 池之端門(いけのはたもん) キャンパス東部にあり、不忍通りに出る。横山大観記念館や旧岩崎邸庭園に近い。 龍岡門(たつおかもん) キャンパス南部にある門。1933年完成。設計は内田祥三。名称は門周辺の旧地名「龍岡町」(現・湯島四丁目)に由来する。近くに「鉄門」と呼ばれる門があったため、龍岡門の通称が鉄門であると混同している人が多い(龍岡門周辺に多くの施設をもつ医学部の通称が「鉄門」であることも影響している)。かつては門扉が付いていたが、門柱間を広げる工事を行う際に撤去され[1]、現在は門柱のみとなっている。龍岡門は常時開放されており、一般車両も入構できる。付近には医学部・薬学部の施設の他、大学本部(本部棟・第二本部棟)がある。医学部附属病院も近く、同病院に車で来院するときは龍岡門から入場することになる。 鉄門(てつもん) 龍岡門よりも東の医学部附属病院中央診療棟南側に、1879年から1918年まで存在していた門。1918年に鉄門の外側の民有地を大学が購入し、大学の敷地を門で区切っておく必要がなくなったため、撤去された。現在ある鉄門は、2006年5月31日に同位置に再建されたものである。なお、現在の正門が設置されるまでは、鉄門が本郷キャンパスの正門とされていた。かつて医学部本部棟がこの付近にあったため、「鉄門」は東京大学医学部、あるいは東京大学医学部医学科卒業者の代名詞となっている(東京大学#同窓会の鉄門倶楽部の解説を参照)。現在では、医学部教育研究棟内に「鉄門記念講堂」も存在する。 春日門 キャンパス南部にあり、春日通りに面している。2007年に既存の通用門を改修して設置された。 西片門 2007年完成。キャンパス西北部にあり、赤門や正門と同じく本郷通りに面している。工学部5号館の裏に位置している小さな門であり、歩行者専用となっている。東大前駅から工学部地区へ行く場合、以前は正門または弥生門を経由する必要があり、遠回りを強いられていたが、この門が設置されたことにより便利となった。なお、門の名称は周辺の地名に由来する。 懐徳門 2007年完成。大江戸線出入口そばに設置された。周囲には総合研究博物館、理学部2号館などがある。旧懐徳館洋館の煉瓦造の遺構が利用されている。 続きは~