☆びゅう「相馬野馬追への旅」パンフレット
JRで行く国内ツアーびゅう
●相馬野馬追への旅 甲冑競馬・神旗争奪戦等を観覧
東京駅※1 新幹線 やまびこ201号・203号・123号(普通車指定席限定)福島駅 送迎(バス)(貸切バス) 【相馬野馬追観覧(入場券・記念品付)】<14:20頃発> 送迎(バス)(貸切バス) 福島駅<17:10頃着> 新幹線 東北新幹線やまびこ号限定(普通車指定席・自由席)東京駅※2
南相馬市 相馬野馬追
一千有余年の歴史を経て 今なおいきづく伝統の祭り
一千有余年の昔、相馬氏の祖といわれている平将門が下総国(千葉県北西部)に野馬を放ち、敵兵に見立てて軍事訓練を行ったのが始まりと伝えられ、現在では、毎年7月末の土曜日・日曜日・月曜日、甲冑に身を固めた500余騎の騎馬武者が腰に太刀、背に旗指物をつけて疾走する豪華絢爛で勇壮な戦国絵巻を繰り広げる。
■疾駆、甲冑競馬 相馬野馬追本祭
福島放送-2014/07/28
国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」は2日目の27日、南相馬市原町区の雲雀ケ原祭場地で本祭を行い、甲冑(かっちゅう)競馬や神旗争奪戦を繰り広げた。会場には昨年を約1000人上回る約4万6000人が訪れ、一千有余年の歴史を誇る勇壮な戦国絵巻に酔いしれた。甲冑に身を包んだ約450騎の騎馬武者が原町区中心部の通称・野馬追通りを祭場地に向けて行軍した。
沿道には、昨年より約1000人多い約5万9000人が詰め掛けた。 ...
日帰りで「相馬野馬追」をみてきた〜
よく話しは聞いていたが、神事とはいえ、地域をあげての伝統の祭り、会場は大勢の観客で賑わっていた。炎天下のなか、戦国武将の甲冑を身にまとい、馬で走り回るのだから、大変なこと、、甲冑競馬では、女武者もいたようだ。神旗争奪戦(花火で打ち上げた神旗を馬のムチで絡め取って奪い合う)は、迫力ありすぎて、みていても、どの武者が神旗をとったのかもよくわからないほどの熱戦。2回戦が終了して、しばらく花火が上がらないとおもったら、待機している救急車の出動、誰か落馬したのか、担架を持って走っていた。そんなこんなで、ツアーのバスの集合時間間近になり、途中で会場をあとにした。なにしろ、全くの日よけなしの会場からの見物、観戦もなにしろ暑かったが、とてもいいものをみた〜
甲冑競馬
神旗争奪戦
神旗争奪戦
●相馬野馬追への旅(甲冑競馬・神旗争奪戦等)
福島、川俣、飯舘村、南相馬〜相馬野馬追〜相馬、霊山、福島
ツアー抜けて勝手にオプション
福島原発事故の直後、南相馬市の「市民の兵糧攻め的な苦境」が新聞やテレビで報道された。その頃から、G/upメンバーとの直接交流で、いまもご縁のある方が南相馬市原町(原発から20.3Km地点)に在住。今回のツアー参加、バスで会場駐車場に着いた時点で、ツアーを抜けて、その方と、はじめてお会いするというオプションが実現した。車で迎えにきて頂いて、ご自宅や病院なども案内して頂き、事故直後の避難指示のことから、いまに至るまでの様々な状況など、じっくりお話しを聞くことができた。いろんな問題がありすぎて、単純にいい尽くせぬことばかりで、、割愛。ほんとうに、複雑で、根深く、終わりがない。再度、野馬追会場まで送って頂き、おみやげまでいただき、お世話になってしまった。
================================================================
福島市から避難指示地域をバスで通過、南相馬市へ、
相馬野馬追の会場は、南相馬市原町区 雲雀ヶ原祭場地
福島駅に新幹線で到着して、ツアー用の大型バスで、福島→川俣→飯舘村経由で、南相馬市に入った。そして、帰りは、渋滞回避ということで、いったん相馬市方面に進んで、海がしばらくみえたので、太平洋側にでて、霊山→福島という道順だったようだ。(特に説明があったわけではないが、道路標識などから)
2013年11月には、楢葉町や富岡町の状況をみたのだが、、楢葉町や富岡町は津波+放射能なので、より深刻にも思えたが、飯舘村は、政府の当初の、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI(スピーディ)」情報隠し、避難指示の遅れなどがあり、違った意味での悲惨さもある〜
人の気配のまったくない飯舘村、野や畑は、すべてセイタカアワダチソウなどに覆われていた。除染作業中の旗もあちこちに、、、どうがんばっても、野や山が元に戻るわけでもないが、
除染廃棄物の仮置き場なのかなんなのか、白い塀で囲まれて、黒い袋の除染廃棄物らしきものが山積みにされた一角あり、
帰り道、いちめん原っぱにみえる平地は、津波で根こそぎ更地になったのか?!
海岸線では、防波堤が高くつくられていて、海がみえない地点もあり、、、、
海岸より、かなり離れた地点で、津波到達点の表示のある建物あり、、
復興支援道路(相馬福島道路)の建設工事中も、、
甲冑競馬で、各レースごとに、ただいまの提供は,,ということで、大相撲の懸賞幕のスポンサーのように、企業名を放送するのだが、どの回もゼネコンが多かったな〜、
福島駅に到着したら、空にはうろこ雲のようなものが、
■希望新聞:東日本大震災 福島県内の放射線量
毎日新聞-2014/07/24
福島市(63キロ北西) 0.24
郡山市(58キロ西) 0.14
白河市(81キロ西南西) 0.10
会津若松市(98キロ西) 0.07
南会津町(115キロ西南西)0.05
南相馬市(24キロ北) 0.12
いわき市(43キロ南南西) 0.07
※単位はマイクロシーベルト毎時。カッコ内は福島第1原発からの距離。
================================================================
南相馬市の状況を今一度お復習い
トップ > 政府の地震情報・生活支援【東日本大震災への対応】 >
南相馬市の手探りの挑戦
〜まちづくり・健康管理への積極的な市民参画〜
(抜粋)
■南相馬市の被災状況
南相馬市は、平成18年1月に一つの市と二つの町が合併してできた市です。東日本大震災では、それぞれの地域が地震、津波の深刻な被害を受けた上に、それに追い打ちをかける形で東京電力福島第一原発事故による被害を受けました。その被害は甚大で、死者1,067人(うち震災関連死431人)、負傷者59人にのぼります。また、全世帯数23,898世帯の2割に当たる4,425世帯が全壊、半壊などの住宅被害を受けました。
原子力災害については、事故翌日の平成23年3月12日に半径10km圏内、同日続いて半径20km圏に避難指示が出され、次いで3月15日には30km圏内に屋内退避の指示が出されました。このため、多くの市民が集団避難や自主避難を余儀なくされました。さらに4月22日には、半径20km以内は「警戒区域」、半径20km以遠で事故発生から1年内の積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれのある区域は「計画的避難区域」、半径20km〜30km圏内の計画的避難区域以外の区域は「緊急時避難準備区域」と、一つの市の中に3つの避難の区域が設定された上、さらに「特定避難勧奨地点」も設定される異常事態となりました。
その後、9月30日に「緊急時避難準備区域」が解除され、多くの市民が避難先から帰還するようになりました。半年後の平成24年4月16日には、「警戒区域」及び「計画的避難区域」が、「避難指示解除準備区域」、「居住制限区域」及び「帰還困難区域」の3区域に見直され、市内の多くの地域へ自由に立ち入れるようになり、本格的な帰還に向けた準備が始まりました。
それ以後、避難区域設定の変更は行われず、現在でも南相馬市には3つの避難区域があります。そのため、市民の方々が置かれている立場や生活環境もそれぞれに異なり、行政には市民に対する多様できめ細かい対応が求められています。
田村市の避難指示区域の解除、川俣町における避難指示区域の見直しなどなど、
それでいいのかどうか、考え方もいろいろあるが〜
経済産業省 原子力被災者支援
●避難指示区域の概念図(PDF形式:313KB)PDFファイル(平成26年4月1日時点)NEW
●避難指示区域の概念図と各区域の人口及び世帯数(PDF形式:289KB)PDFファイル(平成26年6月9日)NEW
●(緊急時避難準備区域解除後)(PDF形式:217KB)PDFファイル
●(緊急時避難準備区域解除前)(PDF形式:375KB)PDFファイル
JRで行く国内ツアーびゅう
●相馬野馬追への旅 甲冑競馬・神旗争奪戦等を観覧
東京駅※1 新幹線 やまびこ201号・203号・123号(普通車指定席限定)福島駅 送迎(バス)(貸切バス) 【相馬野馬追観覧(入場券・記念品付)】<14:20頃発> 送迎(バス)(貸切バス) 福島駅<17:10頃着> 新幹線 東北新幹線やまびこ号限定(普通車指定席・自由席)東京駅※2
南相馬市 相馬野馬追
一千有余年の歴史を経て 今なおいきづく伝統の祭り
一千有余年の昔、相馬氏の祖といわれている平将門が下総国(千葉県北西部)に野馬を放ち、敵兵に見立てて軍事訓練を行ったのが始まりと伝えられ、現在では、毎年7月末の土曜日・日曜日・月曜日、甲冑に身を固めた500余騎の騎馬武者が腰に太刀、背に旗指物をつけて疾走する豪華絢爛で勇壮な戦国絵巻を繰り広げる。
■疾駆、甲冑競馬 相馬野馬追本祭
福島放送-2014/07/28
国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」は2日目の27日、南相馬市原町区の雲雀ケ原祭場地で本祭を行い、甲冑(かっちゅう)競馬や神旗争奪戦を繰り広げた。会場には昨年を約1000人上回る約4万6000人が訪れ、一千有余年の歴史を誇る勇壮な戦国絵巻に酔いしれた。甲冑に身を包んだ約450騎の騎馬武者が原町区中心部の通称・野馬追通りを祭場地に向けて行軍した。
沿道には、昨年より約1000人多い約5万9000人が詰め掛けた。 ...
日帰りで「相馬野馬追」をみてきた〜
よく話しは聞いていたが、神事とはいえ、地域をあげての伝統の祭り、会場は大勢の観客で賑わっていた。炎天下のなか、戦国武将の甲冑を身にまとい、馬で走り回るのだから、大変なこと、、甲冑競馬では、女武者もいたようだ。神旗争奪戦(花火で打ち上げた神旗を馬のムチで絡め取って奪い合う)は、迫力ありすぎて、みていても、どの武者が神旗をとったのかもよくわからないほどの熱戦。2回戦が終了して、しばらく花火が上がらないとおもったら、待機している救急車の出動、誰か落馬したのか、担架を持って走っていた。そんなこんなで、ツアーのバスの集合時間間近になり、途中で会場をあとにした。なにしろ、全くの日よけなしの会場からの見物、観戦もなにしろ暑かったが、とてもいいものをみた〜
甲冑競馬
神旗争奪戦
神旗争奪戦
●相馬野馬追への旅(甲冑競馬・神旗争奪戦等)
福島、川俣、飯舘村、南相馬〜相馬野馬追〜相馬、霊山、福島
ツアー抜けて勝手にオプション
福島原発事故の直後、南相馬市の「市民の兵糧攻め的な苦境」が新聞やテレビで報道された。その頃から、G/upメンバーとの直接交流で、いまもご縁のある方が南相馬市原町(原発から20.3Km地点)に在住。今回のツアー参加、バスで会場駐車場に着いた時点で、ツアーを抜けて、その方と、はじめてお会いするというオプションが実現した。車で迎えにきて頂いて、ご自宅や病院なども案内して頂き、事故直後の避難指示のことから、いまに至るまでの様々な状況など、じっくりお話しを聞くことができた。いろんな問題がありすぎて、単純にいい尽くせぬことばかりで、、割愛。ほんとうに、複雑で、根深く、終わりがない。再度、野馬追会場まで送って頂き、おみやげまでいただき、お世話になってしまった。
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福島市から避難指示地域をバスで通過、南相馬市へ、
相馬野馬追の会場は、南相馬市原町区 雲雀ヶ原祭場地
福島駅に新幹線で到着して、ツアー用の大型バスで、福島→川俣→飯舘村経由で、南相馬市に入った。そして、帰りは、渋滞回避ということで、いったん相馬市方面に進んで、海がしばらくみえたので、太平洋側にでて、霊山→福島という道順だったようだ。(特に説明があったわけではないが、道路標識などから)
2013年11月には、楢葉町や富岡町の状況をみたのだが、、楢葉町や富岡町は津波+放射能なので、より深刻にも思えたが、飯舘村は、政府の当初の、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI(スピーディ)」情報隠し、避難指示の遅れなどがあり、違った意味での悲惨さもある〜
人の気配のまったくない飯舘村、野や畑は、すべてセイタカアワダチソウなどに覆われていた。除染作業中の旗もあちこちに、、、どうがんばっても、野や山が元に戻るわけでもないが、
除染廃棄物の仮置き場なのかなんなのか、白い塀で囲まれて、黒い袋の除染廃棄物らしきものが山積みにされた一角あり、
帰り道、いちめん原っぱにみえる平地は、津波で根こそぎ更地になったのか?!
海岸線では、防波堤が高くつくられていて、海がみえない地点もあり、、、、
海岸より、かなり離れた地点で、津波到達点の表示のある建物あり、、
復興支援道路(相馬福島道路)の建設工事中も、、
甲冑競馬で、各レースごとに、ただいまの提供は,,ということで、大相撲の懸賞幕のスポンサーのように、企業名を放送するのだが、どの回もゼネコンが多かったな〜、
福島駅に到着したら、空にはうろこ雲のようなものが、
■希望新聞:東日本大震災 福島県内の放射線量
毎日新聞-2014/07/24
福島市(63キロ北西) 0.24
郡山市(58キロ西) 0.14
白河市(81キロ西南西) 0.10
会津若松市(98キロ西) 0.07
南会津町(115キロ西南西)0.05
南相馬市(24キロ北) 0.12
いわき市(43キロ南南西) 0.07
※単位はマイクロシーベルト毎時。カッコ内は福島第1原発からの距離。
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南相馬市の状況を今一度お復習い
トップ > 政府の地震情報・生活支援【東日本大震災への対応】 >
南相馬市の手探りの挑戦
〜まちづくり・健康管理への積極的な市民参画〜
(抜粋)
■南相馬市の被災状況
南相馬市は、平成18年1月に一つの市と二つの町が合併してできた市です。東日本大震災では、それぞれの地域が地震、津波の深刻な被害を受けた上に、それに追い打ちをかける形で東京電力福島第一原発事故による被害を受けました。その被害は甚大で、死者1,067人(うち震災関連死431人)、負傷者59人にのぼります。また、全世帯数23,898世帯の2割に当たる4,425世帯が全壊、半壊などの住宅被害を受けました。
原子力災害については、事故翌日の平成23年3月12日に半径10km圏内、同日続いて半径20km圏に避難指示が出され、次いで3月15日には30km圏内に屋内退避の指示が出されました。このため、多くの市民が集団避難や自主避難を余儀なくされました。さらに4月22日には、半径20km以内は「警戒区域」、半径20km以遠で事故発生から1年内の積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれのある区域は「計画的避難区域」、半径20km〜30km圏内の計画的避難区域以外の区域は「緊急時避難準備区域」と、一つの市の中に3つの避難の区域が設定された上、さらに「特定避難勧奨地点」も設定される異常事態となりました。
その後、9月30日に「緊急時避難準備区域」が解除され、多くの市民が避難先から帰還するようになりました。半年後の平成24年4月16日には、「警戒区域」及び「計画的避難区域」が、「避難指示解除準備区域」、「居住制限区域」及び「帰還困難区域」の3区域に見直され、市内の多くの地域へ自由に立ち入れるようになり、本格的な帰還に向けた準備が始まりました。
それ以後、避難区域設定の変更は行われず、現在でも南相馬市には3つの避難区域があります。そのため、市民の方々が置かれている立場や生活環境もそれぞれに異なり、行政には市民に対する多様できめ細かい対応が求められています。
田村市の避難指示区域の解除、川俣町における避難指示区域の見直しなどなど、
それでいいのかどうか、考え方もいろいろあるが〜
経済産業省 原子力被災者支援
●避難指示区域の概念図(PDF形式:313KB)PDFファイル(平成26年4月1日時点)NEW
●避難指示区域の概念図と各区域の人口及び世帯数(PDF形式:289KB)PDFファイル(平成26年6月9日)NEW
●(緊急時避難準備区域解除後)(PDF形式:217KB)PDFファイル
●(緊急時避難準備区域解除前)(PDF形式:375KB)PDFファイル